目次
序
序章 米沢領慶長邑艦綜考
一 はしがき
二 邑艦とその成立について
二の1 邑艦とその成立に関する在来の説
二の3 玉野の開設と湯原・筆甫等の推移
二の4 伊東説批判と邑艦成立年代の推移
三 邑艦の記載内容について
三の1 村高について
三の2 長井の米沢・成嶋及び田沢
三の3 御役木草について
三の4 家数人数について
三の5 邑艦の家数人数と人掃令の書立案文
三の6 邑艦の記載内容と実態の乖離
三の7 吉田氏の高目録帳裏帳簿説の誤謬
四 邑艦の村々の記載順序と郡郷区分
四の1 村々の記載順序と郷区分
四の2 長井の郡郷区分からみた邑艦及び元和高物成帳と高目録帳
四の3 主として屋代の郷区分からみて
五 高からみた邑艦系譜の帳と高目録帳
五の1 邑艦と元和高物成帳
五の2 邑艦系譜両帳の村高の正誤と補正
五の3 邑艦と平林の総高目録の本高
五の4 邑艦の補正高と直江山城守の景勝知行高目録
五の5 邑艦と高目録帳との高の同異とそり意味
(1)同高と検地の同時性
(2)文禄の検地高と邑艦の村高との異同
(3)高目録帳の中津川と小坂・白川の場合
(4)分合による高の異同
(5)邑艦と高目録帳との郡高の比較
(6)邑艦と高目録帳との高の異同と邑艦の高作成説
(7)旧高と天正検地
六 仮称文禄邑艦
六の1 文禄邑艦の成立
六の2 文禄邑艦の内容推定
六の3 文禄邑艦と福島及び大森
六の4 文禄邑艦の存在を暗示する諸事実
(1)高目録帳の長井の郷村高の変更
(2)直江山城守の景勝拝領分三〇万石
(3)元和高物成帳の先方帳面
(4)楡井文書の加増目録
六の5 吉田氏の所謂文禄三年高物成帳
七 むすび
第一章 邑艦の年代考と伊東氏説批判
一 はしがき
二 伊東考証の誤謬
三 慶長十年代の事情に対する伊東説による****
四 邑艦の成立年代について
五 邑艦と野臥日記
六 文禄三年の高目録帳と邑艦
七 元和高物成帳と邑艦
八 長井・伊達・信夫の天正検地
九 邑艦と天正末期の露藤
十 近世初頭の米沢城下
十一 元和高物成帳に関する諸問題
十二 むすび
第二章 伊達玉野・相馬玉の及び東玉野の開設と邑艦
一 はしがき
二 慶長以前の玉野と本玉野
三 本玉野から新玉野町へ
四 邑艦の玉野村の高・家数等
五 玉野の山論
六 笹町駅の開設
七 元禄以前の相馬領絵図と元笹町
八 玉野と笹町の高に就いて
九 伊達と相馬の境の桜と崩水
十 むすび
附 乍恐以目安申上候(山境目安)
第三章 主として邑艦の高について
一 はしがき
二 邑艦及びそれと関連のある諸帳
(1)邑艦と文禄邑艦
(2)邑艦編集の不手際
(3)元和高物成帳
(4)元和高物成帳の所謂前書
(5)高目録帳
(6)高目録帳の御倉入と給地高
(7)邑艦と高目録帳の比較
(8)藤三郎帳
(9)各帳の対比の有用性
三 旧高の邑艦と新高の高目録帳
(1)信夫郡八丁目村とその三郷村
(2)信夫郡大森村および土湯村
(3)
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